麻雀界について思うこと
まなめはうす経由で知った、これ。わたし、実家が一時期雀荘経営してました。
麻雀のプロという人たちが将棋のようにならないことについて懸念されているし、その内容もぐうわかる。
日本全体の麻雀技術レベルが上がらない一番の問題は、麻雀のプロというものに誰でも手が届くことだと思う。プロの敷居が低すぎる。草野球でちょっと無双してるおっさんがプロを名乗れるぐらい敷居が低い。現状において「麻雀プロ」ってのは単なる肩書きでしかない。インテリアコーディネーター3級っていうのと大差がない。糞の役にも立たないものを、ありがたがるほうがおかしい。
もっともっと敷居を高くして欲しい。そして、低レベルの打ち手が退場させられるようにして欲しい。バカがプロになれてしまうのなら、質の低下を招くのは当然だ。その代わり生き残った人には定期的な収入を保証すれば良い。プロってそういうもんでしょ? 将棋界では「30歳までに四段に昇段できなければ奨励会を退会」という掟があり、退会処分した人はプロになれない仕組みになっている。だからいいんじゃない。ぬるすぎますよ、麻雀プロの世界は。プロのすごさを見せつけられないようでは、素人がついてくるわけねーだろ。
ただ、麻雀ほど打ち手のレベルの高低を数値化できないものも無い。
将棋だと上手が下手と打つ際は何枚か駒を落とすことでハンディをつけることが出来るのでレベルの差を埋めることが出来る。駒落ちってやつですね。でも、麻雀は不思議なもので、三段と8級が平手で打っても普通に8級が三段に勝つことが出来る。駒落ちに該当するハンディキャップ機能がない。将棋なら、まずあり得ない。
この辺の不透明さが麻雀の深遠さでもあるのだが、レベルの標準化が出来ないのは競技としての発展を促す大きな障害になっていると感じる。標準化できないことは、ハンディキャップをつけることができないことにつながっていく。やるとすれば、手持ちの点棒を減らすか、上がりの最大点を決めることだろう。プロは10000点持ち素人は35000持ち、みたいな。プロは3900までが最高の上がりで、素人は制限無し、とか。標準化できない最大の理由は手牌が隠れている為ブラックボックスが多すぎるからなんだけど、これを否定すると麻雀じゃなくなるからしゃーない。麻雀は選べないから面白いのだから。
しかし、どんなにブラックボックスがあろうとも、人間の叡智を持ってブラックボックスを解明していくのが科学的真摯さであり、そこから正しい知識も生まれていくと思う。なので、麻雀雑誌の先鋭化/専門化に大きく期待する。ブラックボックスを解明していく一番のヒントは、手順にあると思う。バカとプロが同じ配牌で同じツモをもらった場合、出来上がる最終形にはそんなに差はない。効率で言えば誰にとっても不要なものは不要。ただ、手を仕上げていく順番は大きく異なることがある。同じ配牌で同じツモをもらっても、手順が違えば次局の配牌が違うと僕は考えている。
もしかしたらプロは両面を外してペンチャンを残して仕上げるかもしれない。あえて叩いて手を安くするかもしれない。こーゆーとこなんよ、プロの凄みが出るのは。凡百の素人と同じ打ち回ししたらプロである意味がないでしょ?
しかし、手順について解説できるほどみーーーんな麻雀がわかってないんだよなぁ〜。
関連本
雀鬼サマへの道 全5巻完結(近代麻雀コミックス) [マーケットプレイスコミックセット]
- 作者: 谷口亜夢
- 出版社/メーカー: 竹書房
- メディア: コミック
- この商品を含むブログを見る